処方箋


しゃっくりが止まらない。
「一週間しゃっくりが止まらなかったら死ぬ、って噂を聞いたことがあるわ」
隣の席に座っている同僚の女の子が、ディスプレイに目を遣ったまま、呟く。
噂が本当かどうか、確かめてみたいと思った。
しかし、一週間もしゃっくりを飼い続けることなど、死ぬより辛く、苦しい。
「お願いがあるんだ。忘れた頃に、不意に僕を驚かせてほしいんだ」
彼女は微笑んだ。


老人は湯呑に口をつける。静寂を刻む秒針。微かに混じる、茶を啜る音。


その小説を読んで、私は死にたくなった。
死ぬ前に、その小説の著者による作品を全て読もうと思った。
二冊目。
読んで、私は噴き出した。


僕の実家は十一階建マンションの六階にある。一歳になる前から大学を卒業するまで、僕はそこに住んでいた。
子供の頃は慣れていたので何とも思わなかったが、たまに実家に帰ると、駄目なのだ。
ベランダの手すりから、下を覗き込む。
あまりの高さに、足が竦む。
帰省中、マンションの廊下で偶然幼馴染と会った。彼も帰省中なのだという。
「このマンションは、無駄に高いね」
「そうだね。どうにも、こんな所に住むだなんて不自然としか思えないよ」
「飛び降り自殺をするには都合がいいね」
「飛び降りるには、六階は中途半端だ。最上階まで行かないと。六階だと、気を失う前に着地する危険性がある」
「痛いだろうか?」
「痛いだろうけど、一瞬のことだろう。でも僕は、自殺するなら、飛び降りだけは御免蒙りたいね」
「見映えの問題か」
「そうだね」
僕らは軽く手を振って、別れる。
僕がここに住んでいた二十二年の間、知り得るだけでも、四件の飛び降り自殺があった。
見映えに構っている余裕など、ない場合もあるのである。


死を思え。
きっと死にたくなくなるから。思うがよい。
哲学とは、死の練習である。


流す罪と流される罰。
贖罪と引き換えの救済。
そんな単純な構図に寄せられた最期の淡い期待も、糞便といっしょくた。
窮すれば通ず。良かった良かった。
新しい夢はもう見れなさそうだけど、偶然の結果、幸いにも一番始めの出来事にまで溯れたよ。
この優しさ。この温もり。


その報せを聞いて、私は「いい気なものだ」と思った。
彼女は涙を流した。
彼は「うまくやりやがったな」と言った。
三者三様である。


私は幼少の頃、死というものを、最高に洗練された道化の手段だと思っていた。
それは、ネタに近い、と。
私は宿題の日記に「故・○○ 享年八歳」という題の文章を書いた。
○○とは私の名だ。「故」だの「享年」だのの漢字をわざわざ字引で調べたのである。
きっと笑えるだろう、という道化の精神でもって、書いたのだ。
自分の書いた内容までは覚えていないが、赤ペンにて書かれた担任の文章が異様に長く、説教臭かったことを覚えている。
死というものは、笑えるだけでなく、何かと面倒臭いものだということを初めて知った。
不謹慎、という言葉を知ったのはさらに数年後のことだが、未だにこの言葉に違和感を覚える。


「死ねばいいってもんじゃないよ。死ぬことは簡単だ。簡単なことなど、面白くもなんともない」
友人は或る漫画雑誌を読んで、そう言った。
人気連載漫画のクライマックスシーン、登場人物が一人、死んだ。
その筋書きは、陳腐なようにも思えたが、僕にとって、感動的なものではなかったと言えば嘘になる。
この世には、漫画よりも簡単な死が溢れている。


淡く優しい色に彩られたその絵には、女が静かな最期を迎えたことと、男の祈りと愛が暗示されている。
そのキャンバスに桜の花びらがはらりはらりと落ちてきたところで終幕となる。
「こんなベタな映画が流行るなんて、世も末というか、みんな純愛に飢えてるんだね」
「よく言うわよ。泣いてた癖に」
「俺はああいうのに弱いのだ。それに、別にケチをつけてるわけじゃない。あれはあれでいいと思う」
「……」
「哀しみの果てに、自分のライフワークとでも言うべき作業に祈りながら没頭するのは正しい姿だと思うんだ」
「どうして?」
「どうしてもさ」


枕元に、一輪の花。
健気だと思った。
その健気さは、この病室において、完全に忘れ去られているかのようだった。


「津城君」
振り返ると、六原の母親がいた。会うのは五年ぶりくらいだ。
私は六原の母親を久し振りに見て、美人だった昔の面影を残しながらも、随分と老けてしまったなあとの印象を受けた。
まだ四十にもなってないはずである。苦労したのだ。それなのにあの馬鹿息子は。
「津城君、光也に会ってあげてよ」
六原の母親は私の腕を引っ張り、部屋の中へと連れて行く。彼女は遺体の顔に掛けられた白い布をそっと持ち上げる。
「光也。津城君が来たよ。仲良しやったもんね。一番の仲良しやった津城君が来てくれたよ」
白かった六原の顔がますます白くなっている。しかし死んでいるようには見えなかった。
今に立ち上がり、新曲の『しめやかな空気に包まれて』を歌い出すのではなかろうか?
私は「安らかなお顔で…」といったような紋切型の台詞を口から出そうとしたが、喉が塞がって出てこない。
最終的に口から飛び出したのは「ホンマにロックや」という言葉であった。
それを聞いた六原の母親が息を詰まらせて嗚咽を漏らす。
枕元に六原の愛用していたアコーディオンが置いてある。
それを目にして、私はたまらなかった。張りつめていた糸が切れるように、感情が形となって一斉に溢れてくる。


寒い日だった。
私は同期の寮生と共に、風呂に入っていた。寮の大浴場は、やたらと広いのだ。
「気持ええなあ」
「おう。死にてえ」
「何でや?」
「今死んだら気持ちよく死ねるやろ」
我々はいささか疲れ過ぎていたようだ。


「自殺したりしないでね」
彼女がそう言いたくなるほど、その時の私は危なっかしいしょげ方をしていたのだろう。
もちろん、自殺するつもりなど毛頭なかったが、彼女の台詞を耳にして、顔から火が出そうになり、恥ずかしさのあまり死にたくなった。
私は無理に微笑んでみせた。彼女は涙のままだった。
無神経な言葉は【従】に対する【主】の特権だ。
やがて行く末は、【主】の舵取りによって全てが決せらるる。
己の卑しさを目前に突きつけられて、私は為す術がない。


死んでしまえ!
なぜならお前は、臭くて、禿げていて、醜く、童貞で、用を足した後に手を洗わず、ちんちくりんで、頭が悪く、
イボ痔で、卑屈で、不潔で、包茎で、人の三倍飯を食い、無職で、不平不満ばかり垂れていて、低能だからだ!
何?
いや、違うよ、慈悲だよ。
死んでも忘れるな。今はお前が初めて世界と繋がった瞬間なのだから。


死から生への転向は、必ず真新しいところから始めなければならないのだ。


胸を撫で下ろしているそこの貴方。実はですね、私が最も万死に値すると思っているのは、貴方のような人なのですよ。
生への執着心が強い人こそ死んでほしいし、死を懼れぬ人には生きていてほしいものですね。
でもね、ただの死にたがりには閉口ですね。そういう連中を見ると、何だか、私の方が死にたくなっちゃうんですよね。


私はまだ、健気な花から目を逸らさないでいた。
同室の患者が奇声を上げている。
Sはそれを気にする風もなく、ベッドに横たわったまま文庫本を斜め読みしている。
枕元の、一輪の花の隣に、本が十数冊積まれている。
芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成、……。
突然、Sはげらげら笑い出した。
「何が面白い?」
私の言葉にSは反応し、虚ろな瞳を向けてきた。
「俺はこの作家の本を初めて読んだとき、死にたくなったんだ。でも失敗した。せっかくだから次の機会までに、この作家の本を全て読もうと思ったのさ」
それは見舞いに来た私に対してSが発した最初の言葉であった。
「それがおかしいのか?」
「おかしいよ。笑える。死ぬということは、最高のエンターテインメントかもしれないね」
Sは特別間違ったことを言っているとは思わなかったが、何だか腹が立ってきた。馬鹿にしていやがる。
「まあ、あれだ。もうちょっと頭冷やせ」
私は平静を装うことに努めた。Sは何も言わず、ごろりと寝返りを打った。
『或阿呆の一生』『人間失格』『憂国』『山の音』
私は積み上げられた本の背表紙を眺めていた。Sはまたしてもげらげらと笑った。
私はとうとう頭にきた。本をSから取り上げた。
ああ、何をしているんだ俺は。相手は狂人だ。意味がない。何に腹を立てているんだ。馬鹿みたいだ。
「……すみません」
Sは弱々しく謝った。


いつの間にか、湯呑の中は空っぽになっていた。
老人はそのことに気づかず、再度湯呑に口をつける。
秒針は既にくたびれてしまっている。
ただ、静寂があるのみだった。
もちろん、茶を啜る音が聞こえるはずもない。


最後の最後に掴み取った慈悲の正体、まあ何と残酷極まりない姿であろう。
それでも正義のためだ。
彼は真一文字に己の腹を割いた。
世界を救う、英雄的な死。


「もっと景気の好い話はないか?」


突然、耳元にて囁く声。
お陰でしゃっくりが止まった。
「あら、効いたわ。良かったじゃない」


素敵だな。
もう何も考えなくてもいいんだ。


馬鹿野郎!
死の苦痛が一瞬で済まされると思ったら大間違いだ!
天国も地獄もない。死んだら、死ぬだけだ。未来永劫、死が続くのみだ。
貴様を死に追いやったその不安、その苦悩、その絶望が、剥がされることもなく、溶かされることもなく、
ただ、永遠に、屍にまとわりつき、身体朽ちても尚、魂に鞭打つのみなのだ!
だから滅多なことは考えぬがよい。この大馬鹿野郎が!


雨が降ったら、雨が降ったと書きなさい。
だから、死んだら、死んだと書きたいが、死んだら何も書けないので始末が悪い。
納得できたかね?


一昔前、父の洗濯物と自分のものとを一緒に洗うなと主張する娘どもが話題になったことがあった。
この娘どもは所謂無学無思想無教養なので、洗濯の意味を理解していないのだ。
意図の根拠が浅薄である。皮膚感覚で万事済ませようとする。原始的なケガレの発想から脱却できないでいるのだ。
胃に収まれば全て同じなのだが、感覚がそれを許さない。愚昧、盲信、ここに極まれり、である。
次に、この霊とあの霊とを一緒に祀るなと主張する者が出てきた。
宗派が違うのだろうか、と思ったが、そういう問題ではないらしい。どうやら、原始的な理由なのだ。
こいつらは例の娘どもと同様、所謂無学無思想無教養なので、慰霊の意味を理解していないのだ。
意図の根拠が浅薄である。ユーモアのつもりでもないようだ。真面目くさって述べている。
あまりに馬鹿馬鹿しいので放っておこうかとも思ったが、メンバーの中で最も喧嘩っ早いT君が連中に食ってかかったので、面倒なことになった。
実際、これ以上死者を辱めるのも忍びないことであるし、私も仕方がないと思いつつ、面倒に巻き込まれることを渋々承知した。


あいつ、無茶しやがって。


湯呑の中に、お茶が無い。
急須を持つ手が震えている。それでもゆっくりと、湯呑の空虚は満たされゆく。
お茶はおいしいものさ。
おっ、茶柱が立っている。
そしてお決まりの、静寂の予感。


この健気な一輪の花が、永久に世界を幸福で満たしてくれるならば、私はこの命を、何の未練も躊躇もなく捧げるだろう。
おかしいだろうか?


ええと、真宗なのだから、これを言えば間違いない。
「南無阿弥陀仏」
その先が続かない。とりあえず、もう一度。
「南無阿弥陀仏」
さて、どうしよう。参ったな。木魚叩いとけ。
木魚のリズムはやがて聞き覚えのあるしみったれたメロディを脳内に誘い出した。
メロディにあわせて、南無阿弥陀仏が陰鬱な詩に姿を変える。
六原が顔面を覆っている白い布を勢いよく払い除けて飛び起きる。
「お前なあ、俺の通夜で景気悪い歌を歌うなや」


「だから景気の好い話はないんだって。相も変わらず冴えないさ。冴えようがない」


何度も言っているだろう。
私は噴き出した、と。
ネタに近い、と。
この滑稽味を恥ずかしく感ずることができたのならば、まだまだ健全な証拠ですよ。


信仰から乖離した供養などはありえない。
あるとすれば、それは、子供の遊びみたいなもので、死者にしてみれば迷惑千万な話だろう。
もっとも死者自身が無学なら何とも思わないのかもしれないが、死者に確かめる術もなく、
残された者は彼の名誉を顧慮してやるのが自然の筋道というわけだ。


Sは退院した。


それでもね、ふと、孤独に忍び寄る影を耐え難いものとして、逃げたくなってしまうこともあるでしょう。
そんな時は、この薬を。
食前だろうが食後だろうが、構いやしません。羞恥心が途切れた時に服用して下さいね。


「何だろう? 難しいな。今はそれを探している段階だね」
「そうやって探している間にも、刻一刻とタイムリミットが近づいています。さあ、どうする?」


ある著名な文芸評論家が、近頃世間で話題になっている自殺した狂人の手記を読んで、溜息をついた。
「死を喜劇的に描くことはたやすい。悲劇的に描くことこそ難しい」
彼はそう呟いて頭を抱えた。さらに続けてこう言った。
「しかし、悲劇的な死に対する評価の方が厳しく、喜劇的な死は喝采によって迎えられる」


恥ずかしさのあまり死にたくなっただと?
死んでみろ。今以上に恥ずかしいから。
永遠の相の下で、羞恥に身悶えし続けるのだけは勘弁してほしいだろ?


朝陽が目に沁みる。
お茶を飲もう。





トップへ戻る
inserted by FC2 system