新しい朝が来た


 新しい朝が来た
 希望の朝だ
 喜びに胸を開け
 大空仰げ
(『ラジオ体操の歌』より)


1

ぼーんーさーんーがーへーをーこーいーたッ!

叫び終わるや否や、僕は振り返る。
三人とも、まだ離れている。
最も接近しているのはハヤシ君。小走りの途中、といった様子。左足だけで全体重を支えており、よく見るとぷるぷる震えている。
動いているのかいないのか微妙なところだ。指摘してもいいが、そうするとおそらくハヤシ君は口を尖らせて言い訳するだろう。
面倒な口論を回避するために許容範囲内ということにしておく。でもハヤシ君がオニの時はこの程度の微動を指摘してくるのだが。
ハヤシ君のすぐ後ろでモリタ君がシェーのポーズを決めながら前歯を突き出している。
さすがモリタ君。片足で立っていても微動だにしない。そしてオニをも楽しませようとするサービス精神。素晴らしいざんす。
最も離れたところにいるのはヒラハタ君。「気をつけ」の姿勢で視線は左斜め上方四十五度へ向け、宙を見つめている。
直立不動。呼吸すらしていないように思える。そもそも一歩も動いている様子がない。
彼の場合、「坊さんが屁をこいた」の時に限らず、普段でもこういう状態に陥っていることがしばしばある。おそらく宇宙と交信しているのだろう。
僕は大樹に向き直って顔を伏せる。

ぼーんーさーんーがー……。

夏休みの朝は、ラジオ体操で始まる。
六時二十分起床。着替えを済ませ、寝癖と目脂を付けたままS寺までの道を歩く。
S寺の境内に到着した頃に「新しい朝が来た〜」とお馴染みの歌が流れ出す。
シンプルな第一体操、やや複雑怪奇な第二体操が終わり、首から紐でぶら下げたカードへ係の人にスタンプを押してもらう。
二週間、十四個のスタンプを集めると、皆勤賞がもらえる。
カードの枠内にスタンプが埋められていくのを眺めていると、何だかうっとりしてしまう。「寝坊厳禁!」と心に誓い、拳を固めてしまうのだ。
ラジオ体操が終わった後の静かなS寺の境内で、僕らは腹が減るまで缶蹴りやケードロや天小に興じる。腹が減るのは八時過ぎと決まっている。
天小というのはドッヂボール用の球を使った遊戯であり、まず地面を田の字に区切って天大中小と割り振る。
そして各自区画の中に入り、素手にて行う遊びである。サーブ権は天が持っている。
ルールは卓球に似ていて、自陣に入ったボールをワンバウンド以内に返せなかった者が一つ下のランクと入れ替わるのが基本。
しかし「ワープありルール」の場合は勝者と敗者が直接入れ替わるため、小から一気に天へ上がるという下剋上も可能である。
ただ「ありルール」を採用すると天ばかり狙われて単調になりやすいため、「ワープなしルール」の方がどちらかというと人気がある。
人数が多いときは「天・大・中・小・ザコ・ミクロ」などと増設区画に適当な名称を付して楽しむ。
「ワープなしルール」でミクロから天まで這い上がるには尋常ならざる努力を要する。
この「天小」は人気の滅法高い遊びであるのだが、残念ながら先日キックベースの折にモリタ君の弾丸シュートが
掃除中の坊主の股間を直撃して悶絶させてしまったため、僕らはこっぴどく叱られ、境内ボール持込禁止令が布かれてしまった。
その時ヒラハタ君は「ボールが上手に掃除の坊主のボールに暴発」などとわけのわからぬ早口言葉を呟いていた。
したがって今日はボールの要らない「坊さんが屁をこいた」で遊ぶ。

……屁をこいたッ!

語尾を早めるのは常套手段。もちろんあまりにも使い古された手なので誰も引っかからない。
モリタ君が最接近。不意を突かれたのか、サービス精神を発揮する暇もなく上半身が泳いでいるような格好になっているが、動いてはいない。
ヒラハタ君もかなりの接近を見せている。そして相変わらず直立不動で宇宙と交信している。
ハヤシ君はあまり進んでいない。モリタ君に仕事を一任して、自分は遠くまで逃げるつもりなのだろう。これも常套手段。
やはり最も警戒すべきはモリタ君であろう。彼は非常にすばしっこいのだ。
再度僕は大樹に顔を埋める。

ぼーんーさーんーがー……。

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