鍋男


年々、春と秋は短くなり、夏と冬は長くなる。
つい半月前まで冷房をつけていたはずだというのに。
もう少しだけ、幸せな夢を見続けるつもりだった鍋男は、もそもそとガスコンロの下の開きの中から這い出てきた。
まだまだ眠り足りないのは確かだが、幸せな夢の次には幸せな現実がある。
鍋男が目覚めた頃、こたつ男は既に部屋の中央を占拠していた。
気が早いなあ。
鍋男が感想を口にする前に、こたつ男は喋り出した。
「いや、夏の間、俺はずっと放置されていただけだから」
それはお気の毒に。
けれども、こたつ男の場合、冬に服を着ているか夏に服を脱いでいるかの違いでしかないはずだから、放置されること自体は至極当然のことなのである。
気の毒だと思ってしまうことの方がおかしい。
着ているこたつ男と脱いでいるこたつ男とは別の存在なのかもしれないが、鍋男は脱いでいるこたつ男を一度も見たことがないので、その点についてはどうでもよかった。

窓の外は木枯らし。
鍋男の仕事は忙しくなる。
誰もが鍋男に寄って来て、鍋男を囲んで、身体も心も温まる。
遠慮も気兼ねも要らない幸せな夢もいいけれど、誰に対しても暖かさをふるまうことができる幸せな現実はもっと素晴らしい。
無口で不愛想な彼も、人見知りで恥ずかしがりやな彼女も、鍋男を囲むことによって笑顔になり、みんなと仲良くなる。
「幸せそうじゃないか」
こたつ男は鍋男の仕事っぷりを眺めながら、そう言った。
「俺なんて、臭い足の臭いを嗅がされるだけの日々だ。お前が羨ましいよ」
こたつ男は素直じゃないな、と、鍋男は思った。
誰もがこたつ男に寄って来て、こたつ男を囲んで、身体も心も温まる。
皆に分け隔てなく暖かさをふるまうことができるのは、鍋男もこたつ男も同じだ。
こたつ男に身を預けることによって笑顔が生まれ、様々な仲が生まれる。幸せそうじゃないか。
「俺はちっとも幸せじゃないぜ。何より、こたつの上にミカンがないんだ。ミカンのないこたつなんて、幸福が欠落したただのこたつだ」
そんな不平を漏らすこたつ男の上で、鍋男は「ミカンがなければ鍋を置けばいいじゃないか」と言ってみた。
こたつ男の表情は満更でもなさそうではあったが、
「無自覚な優越感を示されているみたいな気がして、面白くないな」
と返答し、こたつの中に隠れてしまった。

この地方では珍しく、雪が積もった。
そんな日に、鍋男は恋をした。
彼女は口数こそ少なかったが、よく笑う子だった。色白で、丸顔で、料理が得意であった。
鍋を囲む客の中に彼女が混ざっていると、鍋男の仕事っぷりは抜群に冴えた。
火の通りは格段に良くなり、待たずに食べることができた。ただし、ガスの消費も早くなってしまった。
「あまり調子に乗るなよ」
こたつ男はやや浮かれ気味の鍋男を諌めた。
「お前は鍋男なんだからな。お前の愛はただ一人のためだけではなく、万人に開かれているということを忘れるな。勿論、相手が人間じゃなく、こたつだったとしてもな」
確かにこたつ男の言うとおりだ、と、鍋男は思った。
しかし心配は要らない。鍋男が彼女を笑顔にさせようと努力すればするほど、鍋男を囲む全ての客達にも幸福がふるまわれているのだから。
鍋男の幸福と、全体の幸福は、一致しているのだ。
「いやいや待て待て。俺にだけ恩恵がないんじゃないか?」
こたつ男は不満を口にしたものの、浮かれ気分の鍋男の耳には届かなかった。
彼女は何でも美味しそうに食べる子だったが、少食だった。きのこが好物のようで、特にえのきだけを好んで食べていた。
鶏や豚も好きそうではあったが、あまり手をつけなかった。シメのうどんにもあまり手をつけなかった。
彼女は太るのを気にしているようだった。そんなこと気にしなくてもいいのに、と、鍋男は思った。

次へ
 
inserted by FC2 system