王国の団欒


1

<マホロバ茶番篇、ホムダ暦/七十年、信濃・諏訪>

配下の将と先方の担当者たちとの間で殺伐とした空気が漂っているのにも構わず、僕はその少女に見惚れていた。
歳は十五くらいだろうか? 少なくとも僕より二つ三つは上のようである。
おそらくテンソンとツチグモのハーフだろう。クォーターかもしれない。顔の造りがテンソンとツチグモの良いとこ取りなのだ。
物部の娘たちにもたまにこんな顔つきの女の子がいるが、僕はこういうのに滅法弱い。
「モレヤ様、準備が整いました」
奥の間から先方の担当者が一人出てきて、少女にそう告げた。どうやらその少女は、この国においてかなり貴い身分にあるらしい。
よく見ると、美しい翡翠玉の首飾りを身に着けている。僕は心の中で「モレヤッ」と呟いた。今まで耳にしたこともないような語感である。
少女は何も言わずに頷いて立ち上がり、奥の間へと消えていった。僕は後姿をずっと目で追っていた。
「王子様、初の公務とはいえ、あまりはしたない真似をしてくださるな。鼻の下が伸びていらっしゃいますぞ」
葛城のソバメシが僕に耳打ちした。
「僕はああいう顔つきが好きなんだ」
僕がそう答えるや否や、ソバメシは自分の口に指を当て、「言葉を謹んでくだされ」と小声で言った。
先方の一人が、ちらっと僕の方を窺ってきた。僕は何食わぬ顔であらぬ方角へと目を遣った。

しばらくすると、奥の間から年寄りが少女を伴ってのそのそと出てきた。ジジイもジジイ、八十を超えているのではなかろうか?
マホロバにもこれほどの長生きはなかなかいない。一昨年に亡くなった老臣のタケシノコがちょうどこんな感じだった。
「だいたい話は聞かせてもらった。まあ、予想通りの要求だな。ワシが首を縦に振るとでも思っているのか?」
ジジイは席に着くと、驚くほど明瞭な口調で静かにそう言った。葛城のソバメシも大伴のカンテキも黙って考え込んだ。
だいたい何で僕の補佐役がソバメシとカンテキなのだろうか? 他にもっと賢い奴がいただろうに。父王も適当な采配をしやがる。
「出雲の現状は貴殿もご存知のはず。それを知っての物言いと受け取ってよいか?」
カンテキの交渉はいつも、武力をちらつかせた脅迫でしかない。それでも今の発言はいつもよりソフトな方だ。
少女がカンテキを睨みつけた。意志が漲るその瞳に、僕はぞくぞくした。カンテキが羨ましい。僕も少女に睨まれるようなことを言ってみようか。
いや、どうせソバメシに窘められるのがオチだろう。
それだけならまだしも、思慮を欠いた僕の馬鹿発言によって交渉そのものがご破算になったら大変だ。黙っておこう。

信濃の諏訪に出雲の残存勢力が入植している……。
今回の東国遠征に際して、僕は出立直前にそう聞かされていた。
詳しい経緯はまるで知らないのだが、建国前夜における争乱の際、王家と出雲との間で一悶着あったらしいのだ。
結局、出雲は初代王に加担することとなり、その見返りとして建国が成った暁には出雲にある程度の自治を保障する取り決めが交わされた。
出雲の助力もあって、初代王は争乱を制することとなり、のちに建国を宣言した。
ところが、勝ってしまったらこっちのものだ。次なる標的が出雲となるのは世の道理である。
建国後の数年はおとなしくしていたが、やがて硬軟取り混ぜたマホロバサイドの政略によって出雲の自治は内部から崩壊し、一部勢力が東国へ逃れていった。
今、目の前にいるジジイはその逃れた勢力の末裔であろう。いや、年齢を考えると、その時には既に生まれていたかもしれない。
出雲本国にとどまった残存勢力も二世王の治世時に多くが粛清されていき、山陰は完全にマホロバが制圧した。
おそらく当時存命であったと言われている伝説的老臣タケシウチの策によるものだろう。ちなみに二世王は僕の祖父にあたり、僕が生まれた時にはとっくに死んでいた。

東国に逃れた旧出雲勢がツチグモ連中と結託して大増殖していることが判明したのは割と最近のことである。
マホロバは既に東海と越を抑えていたが、信濃の山ん中は盲点であった。諏訪を拠点として、甲斐および武蔵に旧出雲の勢力が拡散していたのである。
東国の支配を進めていたマホロバ軍は相模と房総から北へ進めなくなってしまっていた。
さすがの王国軍も東国の毛野勢と旧出雲勢の二者を相手にするのは分が悪い。ただでさえ東国はマホロバ本国から遠いのだ。
父王は旧出雲勢をマホロバ側に取り込む戦略を選択した。そのための特使として、僕が信濃の山ん中に遣わされたのだ。
僕にとってはこれが初の公務となる。

「毛野討ちに協力しろ、さもなければ毛野の前に諏訪を討つぞ、と、そう言いたいのだろう」
ジジイが小指で鼻をほじりながら言った。
「この交渉の様子は逐一記録して本国へ送っているのだぞ。我々は講和のための使者に過ぎない。あまり軽はずみなことを言っていると本国から……」
ソバメシが語気を荒げたその時、ジジイが身を乗り出して撮影用の機材をまじまじと覗き込んだ。撮影担当の忌部の若衆が一瞬たじろいだ。
「このカラクリは、一体どうやって動かしておる?」
ジジイはソバメシの台詞を無視して訊いてきた。
「オオモノヌシ様の力で動いているに決まっているだろう。どうでもいいではないか、そんなこと」
「やはりそうか。まあ、そりゃそうだろうな。それしか方法がないわな。そうか、オオモノヌシ様は現役なのか」
「当たり前だ」
僕はてっきり、撮影機材を初めて目にしたことによってジジイが驚いたのかと思った。が、動力の原理を確認して納得しているのだから、どうやらそういうことではないらしい。
ジジイは神妙な顔つきで何事かを思案している。
「それは知らなかったな。オオモノヌシ様は、とっくの昔に、アマテラスによってマホロバから追い出されたものだと思い込んでいた」
「何だ? アマテラスって?」
「知らないのか?」
「知らん」
「そんなはずはないのだが……、まあよいわ。マホロバに帰ったら年寄りに訊いてみろ。ここに来ているのは揃いも揃って若い連中ばっかりみたいだしな」
ソバメシとカンテキはお互いの顔を覗き込み、片足を棺に突っ込んでいるような年寄りの戯言など真に受けない方がいい、とでも言いたげな表情を造り合った。
「マホロバにオオモノヌシ様の加護があるのなら、一から考え直さなければならないようだな。……、出雲の人間として」
ジジイがそう言うと、「モレヤ様」と呼ばれていた少女が不満げな表情を浮かべた。僕は彼女の眉間の皺に注目していた。
「ただ、今回の問題について神様がどうだとかは全く関係ない。ワシらも生きるために必死だ。身の振り方を考えねばならん」
「ご決断いただけるということですかな?」
「母親からよく聞かされていたが、お前らのやり口は昔話のそれと同じだ。どうせ要求を飲んで、諏訪における旧出雲勢の自治を保障してもらったところで、将来的にはどうなることやら」
「何が言いたい?」
「事が成れば、諏訪の自治もなし崩しにされるのだろうと思ってね。かつての出雲同様に。果たして、ワシらが生き残るにはどうしたらいいもんかね」
「我らが国主、ホムダ三世王は大変思慮深く、また、慈悲深いお方だ。決して諏訪を悪いようにはしない」
「会ったこともないやつの評判なんて信用できるか。だいたい三代目なんて、どこの家系でも出来損ないのぼんぼんばかりだろうが」
「なんだと? こっちが下手に出てりゃ、勝手なことばかり言いやがって! 陛下を侮辱するような真似は許さんぞ!」
カンテキはそう叫んで腰に下げた太刀の柄に右手を添えた。一瞬、場に緊張が走った。
「落ち着けカンテキ。先に結論を聞こうじゃないか」
僕は適当なことを言いつつ、身を乗り出そうとしていたカンテキの膝を軽く叩いた。カンテキは「失礼」と小声で呟き、どっかと胡坐をかいた。
ジジイは興味深そうに僕の顔を眺めながら、「もっともだ」と言った。
「では先に結論を示そう。我々は貴殿らの毛野討ちに協力する」
意外な回答だ。どよめきが起こった。ジジイはさらに続ける。

理由は三つある。
一つ目。
マホロバの地には依然、オオモノヌシ様がいらっしゃるとのこと。そのことは我々に悪い影響を与えないだろう。
我々がマホロバに協力する充分な理由となりうる。
二つ目。
マホロバが東国を平定した後、次に我々が目障りな存在となることも考えられなくはない。
しかし、たとえその時にマホロバが不埒な考えを抱こうとも、かつての出雲のように我々が崩されることは決してない。
圧倒的だと思われたアマテラスですら、オオモノヌシ様を破ることはできなかったみたいだからだ。信仰は統治に欠かせないからな。
この地にミシャグチ様の力が溢れかえっている以上、我々が敗れることはない。
ワシはそのことをよく知っている。身を以て知らされたからな。ワシの後半生がそれを物語っている。
三つ目。
最後の理由は毛野の地へ行けば自ずと分かる。事態はマホロバが把握している以上に思わぬ展開を見せているからだ。

「よく分からんな」
カンテキが不満そうに言った。
「思わぬ展開とは何だ? それに、ミシャグチとは?」
「それ以上は言わん」
またもやカンテキがブチ切れそうな気配を見せたので、ソバメシが慌てて取り繕った。
「まあ、理由がどうあれ、よいではないか。旧出雲勢の協力を得るのが我々の使命だ。早速、共同宣言の様子を撮ろうじゃないか」
僕は立ち上がり、ジジイと握手をした。その様子を忌部の技術者が映像に収めた。
『ホムダ三世王の第三王子・ハマノワケ様と諏訪の首領・タケミナカタ殿によって東国平定を目的とする共同宣言が採択された』などといったような音声が編集で入れられるのだろう。
鼻をほじった後のジジイの手を握るのが嫌で仕方がなかった。どうせなら少女と握手をした方が絵になるだろう。僕も断然そっちの方がいい。

その夜。
講和の成就を記念して宴が催された。
振舞われたのは主に獣の肉である。いかにもツチグモっぽい。物珍しさも手伝い、たらふく食べた。
それにしてもこの地は興味深い所である。テンソンとツチグモが共存している集落なんて、ほとんど聞いたことがない。
僕はたまたま隣に座っていた同じ歳くらいの諏訪の人間にあれこれと訊ねてみた。彼はジジイとともに出雲から逃れてきたテンソンの末裔であるらしかった。
「もともと、ここはツチグモの国だった。タケミナカタ様がこの地に入られたのは四十年以上前だ」
タケミナカタ様、というのは、例のジジイの名前であるらしい。
「それで、すぐに仲良くなったのか?」
「んなわけあるかい。俺もこの目で見たわけじゃないから詳しくは知らんが、テンソンとツチグモじゃ武器が全然違う。当然、タケミナカタ様はこの地を武力で制圧し、支配しようとしたんだよ」
「でもツチグモを追い出すことはしなかったのだな」
「確かに戦いには勝った。だからといってどうしようもない。タケミナカタ様も落ち延びた身だったからな。先立つものがなかった。領民にそっぽ向かれちゃ、食べていけない」
「なるほど。つまりは、壮大な居候なのだな」
「その表現、間違ってはいないな。この地においてモレヤ様の力は絶大だからな。ツチグモを追い出したら、誰も面倒見てくれない」
「モレヤ様ってのは、あの女の子のことだろう?」
「ああそうだ。家名を指してモレヤ様と呼んでいるのだ。四十年前、タケミナカタ様が当時のカンノオサであったヤサカ様と結びついたことによって、この共存生活が誕生したのだ」
「カンノオサ?」
「神様を司る者たちの長だ」
「そういうことか。じゃ、あの女の子はジジ……タケミナカタ氏のお孫さんか何かかい?」
「孫ではなく、曾孫だ。モレヤ様のお母様がタケミナカタ様の孫で、お父様は守矢家の人間だ」
モレヤだかモリヤだか知らないが、おそらくカンノオサの正統たる少女には人心を掌握するための術が備わっているのだろう。
マホロバにもオオモノヌシ様周辺を管轄している者たちがいて、それなりの厚遇を得ている。形式面を主に三輪が担当していて、技術面は忌部が詳しい。
少女は言わば、マホロバにおける三輪や忌部と同様の立ち位置にいるということか。
「この国にオオモノヌシ様はいないのかい?」
「いないこともないだろうけど、少なくともツチグモたちはオオモノヌシの存在を知らない。みんなミシャグチ様に帰依している。出雲の二世三世である俺たちもそうだ」
「ミシャグチ様ってのが、この国の神様の名前なんだね」
「そういうこと。出雲の残党が諏訪のツチグモに戦で勝っても、この地でオオモノヌシはミシャグチ様に勝てない。タケミナカタ様は早々にそのことを理解して太刀を鞘に収めた、というわけだ」
「随分と勝手な話だが、当時のツチグモたちはタケミナカタ氏の居候を了承したのか?」
「腹の中までは知らないが、反抗したところでテンソンには勝てないからな。お互いにそれなりの利益が得られるのだから、今みたいな状況の方がいいだろう」
なるほど。直感でしかないが、今の一連の話にはマツリゴトの秘訣が隠されているような気がする。マホロバに帰ったら父や兄にも聞かせてやろう。
「タケミナカタ様がヤサカ様に宝玉を献上することによって、二人は結ばれたんだ。モレヤ様が首から下げているのがその宝玉だ」
「ああ、見た見た。なかなか綺麗だった。産地はどこなのだろう?」
「タケミナカタ様の母君が出雲から持ち逃げしたとも言われているし、越の国に潜伏していた際に地元の匠に造らせたとも言われている。詳しくは知らない」
「越は翡翠の名産地らしいからな。それもあるかもしれない」
「のちにあの宝玉にはヤサカ様の神通力によって、ミシャグチ様の力を込めたらしい。噂ではかなりの不思議な力が秘められていると聞いている。その由来から、ヤサカ玉、とも呼ばれている」
「ほう」
「まあ、その真相は知らないが、あの宝玉が出雲と諏訪、ひいてはテンソンとツチグモによる共栄の象徴であることは、この地に住む者なら誰も疑っていない」

諏訪には一か月ほど滞在した。この後、甲斐を経由して武蔵へ向かい、そのルート上に多く入植している旧出雲勢の協力を取り付けていく予定だ。
僕が生まれる前から膠着していた戦局がようやく動き出すことになりそうだ。
一年以内には、相模や房総に長期滞在を余儀なくされている物部軍や賀茂軍を武蔵に呼び寄せ、毛野討ちの準備が整うだろう。
精強の物部と賀茂に加えて、僕が率いている大伴軍と新参の旧出雲勢がいれば、数の上では圧倒的優位に立てる。
後顧の憂いも解消し、長く伸びてしまった戦線を支えるための新たな補給路も確保した。
まさに諏訪攻略はマホロバ国軍の東国平定にとって大きなターニングポイントとなるだろう。と、当時の僕は思っていた。
しかしそんなことは本当にどうでもいいことだったのだ。
既に東国においては、ジジイが言っていたように、僕たちの想像を超えた展開が起こっていたのである。

次へ
栞へ


 
inserted by FC2 system