気紛れサードアイ


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廊下側の最後方は四月における私の指定席。十一年連続、十一回目のこと。
一番後ろであるということに関しては、何一つ文句はなく、むしろ歓迎すべきことなのだが、最も廊下寄りとなると、やや事情は異なってくる。
背後には盛んに人が出入りする扉があり、授業中以外は常に慌ただしく、騒々しく、埃っぽいのだ。
……という具合に、指定席のデメリットを感じるようになったのは今回が初めてであろうか。過去十回においては、気にも留めなかったのだから。
慌ただしいのも騒々しいのも埃っぽいのも、実際のところは大した問題ではない。
ただ、最も大きなデメリットを今回初めて発見したことに伴って、今まで隠されていた些末な問題が浮かび上がってきただけのことだ。
そう。一番厄介なのは、激しい往来がもたらす通行人の心の声が、いちいちうるさいということ。気にするなと言われても、こればかりはなかなかに難しい。
この位置が四月における私の指定席となってしまう理由は単純だ。私の出席番号が最も大きい数字だから。
輪野さんとか藁井さんとかが同じ教室の住人ならばこうはならないが、残念ながらそのような姓を有した人に私は出会ったことがない。全国津々浦々探せばいるだろうけど。

一学期始業式の翌日の放課後。
二年生にもなればみんな迷いがない。放課後の到来を告げる別れの挨拶の後、生徒たちは一斉に各々の居場所へと散っていく。
それは自宅であったり、部室であったり、体育館やグラウンドであったりするわけだ。そういや、新入生勧誘のシーズンである。
私にとってメインとなる居場所は自宅の中にある自室であるわけだが、昨日と同様、慌ただしく騒々しい指定席にて、間延びした放課後の教室をぼおっと眺めていた。
教室に残っているのは十人足らず。いずれも自室や夕方のファーストフード店をアフタースクール時の居場所とする者たちであろう。
教卓を左右から挟むようにして談笑しているのは、一年の時も私と同じ二組だった藤浦と、確か一年四組出身だったはずの柴田だ。
そういやこの二人、昨日も同じように談笑していたっけ。同じクラスになれたことを喜び合っていた。どういう繋がりなんだろう? 同じ中学出身というわけではなさそうだが。
二人とも何かしらの部活に属していたはずだが、二日連続でちんたらしている様子から察するに、課外活動にはあまり熱心でないのかもしれない。
まあ、体育会系はともかく、文化部はどこも緩いからなあ、うちの高校は。

――今からミユキと例の店へお好み焼きを食べに行くんだけど、エチカも一緒に来れるかな? 誘ってみようっと。

柴田が藤浦を勧誘しようとしている。例の店、ってのが妙に気になるな。そんなに美味いのか?
けれどもこれで合点がいった。ミユキってのは、吉岡深雪のことだろう。私や藤浦恵智香と同じ一年二組に所属していた巨乳さんのことである。今は何組だっけ?
柴田と吉岡は旧知の間柄なのだ。同じ中学出身ってところだろう。で、吉岡を介して藤浦と柴田は一年の時から顔見知りであったというわけだ。そういう繋がりか。なるほどね。
……、私にとっては何の役にも立たない情報である。
級友とはいえ、プライベートで関わりのない人物の人間関係を覗き見するために放課後の教室で人間観察をしているわけではないのだ。
もっとこう、世界を揺るがすような知見やら、悪を滅すために必要となるキーワードが何処かに潜んでいやしないかと網を張っているのだ。
けれどもどこにもそんなものはないらしい。そりゃそうだ。でもさあ、それじゃしっくりこないのよね。何のために覚醒したんだ、って話になってくるからさ。
やっぱり勘違いなのかな。いやいや、それは自身を病人だと認めることに等しい。勘違いに決め打つのは時期尚早。もうちょっと探ってみようよ。既に三ヶ月以上経ってしまっているけど。

「今から深雪と例の店へお好み焼きを食べに行くんやけど、恵智香も来る?」
「ほんまに? ウチも行く行く。他に誰か来る?」
「今のところはウチらだけやで。……、聡子ちゃんも来る?」
柴田が声を掛けた相手は、窓側から三列目、後ろから二番目の席に座り、机の上に大量の書類をぶちまけて作業していた駒込聡子であった。こいつも一年四組出身だったっけ?
このクラスは一年四組出身者が多い。実に半数近くを占めている。これには理由があって、選択科目によってクラス分けをしているからなのである。
一年の時は芸術科目の選択で大雑把に分かれていただけだが、二年になると文系理系の区別が発生する。
もともと全員が美術選択であった一年四組から理系を追い出し、その代わりに文系の美術選択者を放り込んだら、たまたまちょうど一クラス分の人数になってしまったのである。
地理歴史や理科の選択によって多少の調整がなされる上、芸術の選択を変える奴もいるので、厳密にはそこまで単純な振り分けではないのだが、まあ概ね前述のとおりであると考えて差し支えはない。

「行きたいんやけど、今日は部活さぼられへんねん。新入部員を勧誘せなあかんからな」
駒込の机に載っているのは新入生に配布する目的で刷られたチラシであるようだ。駒込は卓球部だったかな。
彼女が新入部員勧誘に熱意を持っているのか、それとも例の店とやらが放つ誘惑が勝っているのか、一体どちらなのかを私は読み取ろうとしたが、さっぱり分からなかった。

――サトコちゃんが来られないのは残念。

一方、柴田の心の声はいともたやすく私に届く。やはり個人差があるように思われるが、……、それともただの偶然なのだろうか。
もっとも、今の柴田の気持などは読み取るまでもなく、誰でも容易に正解に辿り着くことができる類のものだろう。
大抵の心の声は、聞こえようが聞こえなかろうが、状況や文脈から推測可能なのだ。
心の声の中身があまりにも意外なものであり、それによって私が驚いたなどということは、この三ヶ月間、ほとんどなかった。
けれども、どうでもいいような情報がとめどなく私の中に流れ込んでくる。これが耳障りなのだ。
いや、鼓膜を振るわせることなく聞こえてしまうので、耳障りと表現するのはおかしいのかもしれないが。
そんなことを考えている内に、教室の前の扉から吉岡が入ってきた。

――いたいた。エチカは相変わらずでかいなあ。

藤浦は身長が百七十五近くあるのである。でも吉岡さん、あなたも部分的に充分すぎるくらいでかいですよ。
柴田と藤浦が帰ってしまうと、教室内から途端に華がなくなってしまったような印象を抱いた。吉岡も美人だし、やはり類は友を呼ぶのね。
駒込はお世辞にも美人であるとは言い難い。まあ、私も人のことをとやかく批評できるような容貌を有しているわけではないのだが。
室内に残っている女子は私と駒込、それに駒込の真後ろの席に座っている四條の三人だけになった。四條はさっきからひたすら鏡を見ながら髪をいじり続けている。
窓際には男子が四人残っていて、馬鹿話をしている。男の心の声など聞きたくもないね。嫌でも聞こえちゃうんだけどさ。
特に一番背の低い津城とかいう奴がずっと藤浦のことをちらちら見ていたが、何を考えているのか私には駄々洩れだからね。いちいち文字に起こしてやらんけどな。
そろそろ帰ろうと思い席を立とうとした時、四條の心の声が聞こえた。

――あ、和束さんがあたしに何か話しかけてくるみたい。何だろう?

え? そんなつもりないけど、どういうこと?

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